歴史

【9〜13世紀:アンコール王朝】

ジャヤバルマン2世によってジャワ王国からの独立が成し遂げられ、アンコール王朝が興る。
インドシナ半島の大部分を支配したアンコール王朝は、アンコールワットをはじめとするさまざまな建築や美術品などを残した。

【14世紀以降:アンコール王朝の衰退 】

元やアユタヤ王朝による侵略でアンコール王朝は衰退。 その後もシャムやベトナムからの侵略や干渉を受ける。

【1884年:植民地時代】

フランスの保護領となり、1887年には仏領インドシナに編入。

【1953〜1970:カンボジア王国 】

1953年にフランスから独立を果たしてからのシハヌーク時代と呼ばれるこの時代は、独立間もない時期ではあったが平和な王政時代だった。

【1970-1975年:クメール共和国 】

シハヌーク王子外遊中に、米国の後援を得たロン・ノル将軍がクーデターを実行。 さらに、同じ頃に開始された米軍による空爆をきっかけに、カンボジアの運命は大きく暗転。 共和制のロン・ノル時代は多くの死者と200万人を超える国内避難民を出した。

【1975-1979年:民主カンプチア 】

ポル・ポト時代と呼ばれるこの時代は過激な共産主義 。 市場、貨幣、学校、教育、寺・仏教すべて否定されたカンボジア国内で、人々はサハコーと呼ばれる強制収容所で強制労働を強いられた。 元軍人、公務員、教師・医師・技術者など知識人は、敵もしくは潜在的敵として虐殺の対象となった。 この時代、人口約900万人のうち、約200万人の方が不自然な亡くなり方をしたといわれる。

【1979-1991年:カンプチア人民共和国(ヘンサムリン時代) 】

1978年にベトナム軍がヘン・サムリン率いるカンプチア民族救国統一戦線とともにカンボジアに侵攻。 1979年にカンプチア人民共和国がベトナム支援の下、樹立されるがポル・ポト、シハヌーク、ソン・サン各派によって組織された民主カンプチア連合政府三派との間で内戦状態となる。 1988年にベトナムのファン・フン首相が急死したがきっかけとなり、ベトナム軍が撤退を開始したものの、内戦はさらに泥沼化していく。

【1991年後半-1993年:国連統治時代 】

1991年10月23日の「カンボジア和平パリ国際会議」をもって20年に及ぶ内戦が終結。 国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC 事務総長は明石康)による平和維持活動が行われる。

【1993年 】

憲法制定議会が発足したのち、4月には初の総選挙、9月には立憲君主制を礎とする新憲法が制定され、「カンボジア王国」が発足。

ラナリット第一首相とフンセン第二首相を軸に置いたこの連立政権はポルポト派による内戦継続、1,000万個の地雷、新政府内部での紛争、汚職の蔓延、貧富の格差拡大と向き合う、険しい門出を背負うこととなった。

【1997年 】

緊張状態にあったラナリット派とフン・セン派が軍事衝突へと突き進み、クラナリット第一首相が国外追放された。

【1998年7月 】

国連監視のもと総選挙が行われ、人民党フンセン氏が首相に就任し現在に至る。 また、ポルポトが山中で死亡していることが分かり、ポルポト派の消滅は決定的となった。

【2004年10月 】

ノロドム・シハヌーク国王が退任し、息子のノロドム・シハモニが国王に即位。

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